2022.02.18
いえ、花をいけることを嫌がって逃げるという事ではありません。
花をいけることは、ある意味挑戦でもあります。花材の取合せはおかしくない?本当にこの枝を落としても大丈夫?など、多くの迷いが生じるものです。おおげさかもしれませんが、迷いに挑戦し、乗り越えることで花はいけられています。
そんな中、文句なしに主役になるもの、花材同士をうまく調和させるもの、風情を演出してくれるものなど、万能な花材が存在します。ただ、安易にそれらを使いすぎると、挑戦を避けたようでうしろめたく、花をいけることから逃げたように感じることがあるのです。
こうした感覚は、おそらくいけばなに限ったことではなく、服のコーディネートや仕事の段取り、はたまた人間関係などにも当てはまるように思います。何の工夫もなくこなした仕事には、なんとなく胸を張れないものですし、無難に選んだ洋服だと新鮮味が感じられません。さらには、型どおりの挨拶だけでは人と人の絆は深まらない。そんな感じと似ています。
いけばなは花をいけるだけでなく、花をいけることで生き方を学ぶものでもある、といわれます。花をいけることは、生き方のシミュレーションといったところでしょうか。
暮らしの花手帖
2020年10月から京都新聞発行「Iru・miru(イルミル)」に掲載されているコラム「京都暮らしの花手帖」(ライター:池坊総務所 京極加代子)の内容を掲載しています。