暮らしの花手帖 第5回「ありつきかなう花」
2022.03.16
公私にわたり、花をいける機会が少なからずあるのですが、上手な花といい花は、似ているようで少し違うように感じています。あくまでも、個人的な見解ではあるのですが、稽古を頑張れば、それに応じて上手な花がいけられるようになる、と。しかるに、いい花はそれだけではどうにもならない気がするのです。
いい花には、場所があります。その花がその姿で存在すべき場所、とでもいえるでしょうか。池坊には「ありつきかなうようにいけよ」という教えがあります。ありつきかなうとは、草木の姿かたちの在り方や花葉の付き方が自然の道理に則した状態を意味します。
いけばなは、来客を迎えるしつらいとして発展してきました。それは、歓迎の意をあらわすものであり、室内の装飾であり、季節を愛でるものであり…つまりは、心地よい空間を作り出すものであることが目的です。今の季節ならこんな花、この部屋ならこんな花と、さまざまな状況によりそう花が、いい花なのだと思います
「ありつきかなう」という観念は、いけばなに限らず私たちの暮らしの中のでも大切にしたい考えです。
暮らしの花手帖
2020年10月から2022年3月まで京都新聞発行「Iru・miru(イルミル)」に掲載されたコラム「京都暮らしの花手帖」(ライター:池坊総務所 京極加代子)の内容を掲載しています。